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鳥取地方裁判所 昭和28年(ワ)269号 判決 1955年6月14日

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  請求並びに答弁の趣旨

原告訴訟代理人は、被告は原告に対し一一四、六七四円及びこれに対する昭和二九年一月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、被告指定代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求めた。

二  請求の原因

(一)  原告は昭和二八年五月一三日当時の国家地方警察鳥取地区署に出頭を命ぜられ、何等身に覚えがないのに同年四月行われた参議院議員総選挙に同候補者三好英之の選挙運動員として訴外福政義孝に運動費を手交したという疑いで同日同署において逮捕せられ、同月一六日鳥取地方検察庁検事及川直年の請求により同地方裁判所裁判官秋山哲一の発した勾留状に基き、前後一八日間に亘り身体の拘束を受け、同月三〇日釈放せられた。その後数日を経て右被疑事件の真犯人は原告ではなく、訴外恩田一であることが判明し、同年六月三〇日原告に対して不起訴処分がなされた。

(二)  原告が右のように逮捕勾留せられるに至つたのは、訴外福政義孝の、単なる年令四〇年余の恩田某なる者から選挙運動費として金員を受領したとの氏名住所を特定しない供述及び俗にいう面割り(本件では福政義孝に原告を見せたときのことを指す)にあたり、相当の距離で原告を見た同訴外人が運動費を呉れたのはこの人(原告を指す)に似ているが保証はできないとの供述のみに由来し、原告の否認、アリバイの主張を全然顧みなかつた司法警察職員瀬田敏徳、同高橋雅夫、同戸田実、同倉本重雄等の過失に基ずくもので(原告に鳥取地区警察署への出頭を命じたことの過失は主張しないが)あり、更に同事件の送致を受けた検察官及川直年、逮捕状及び勾留状を発した裁判官秋山哲一等も職務上必要な注意を怠つたため原告が真犯人でないことを推認しえなかつたもので、これら職員の過失のため抑留せられたものに外ならない。(なお過失の具体的な主張は理由に摘記する。)

(三)  原告はこの寃罪により不当な拘束を受け筆舌に尽しえない精神的苦痛を蒙り、且つこの不当な抑留から脱しようと百方手を尽し、一方原告は明治二七年一月二五日生れで田、一町歩畑一反二畝を自作し、山林約一町歩を有する農家であるが、一家の柱石たる原告不在のため次のような損害を受けた。

(イ)  一、〇四〇円 鳥取駅、浜村駅間往復一三人分(一人分片道鉄道運賃四〇円)

(ロ)  三、九〇〇円 右日当一人分三〇〇円の割合

(ハ)  三、〇〇〇円 弁護人依頼手数料

(ニ)  一、三三四円 原告の抑留中の賄料

(ホ)  五、四〇〇円 原告不在のため人夫を雇入した一八人分の賃金

計 一四、六七四円

なお原告の精神的苦痛は金銭に替えうべきでないがこれを一〇〇、〇〇〇円と見積るものである。

右合計一一四、六七四円は公務員である前記司法警察職員、検察官、裁判官の過失に基因するものであるから国家賠償法第一条により右金員及び本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和二九年一月一〇日から完済まで民事法定利率による遅延損害金の支払を求めるものである。

三  答弁

(一)  原告が請求原因として主張する(一)の事実及び(三)の事実中原告の身分関係並びに鳥取駅浜村駅間の鉄道運賃が原告主張のとおりであることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

(二)  事件の経過は次のとおりである。

(イ)  昭和二八年五月二日国家地方警察鳥取地区警察署において、県本部捜査課の応援をえて、鳥取県気高郡大郷村大字金沢二四番福政義孝を公職選挙法違反事件により逮捕し、引続き勾留したところ、同人は同月七日「昭和二八年四月一三日か一四日の午後三時頃自宅でかねてからの知合である鳥取県気高郡日置谷村中田玉平の使者と称する同郡勝谷村大字岡木恩田某五〇歳位から参議院地方区立候補者三好英之に投票を集める買収費として一〇、〇〇〇円の交付を受けた旨供述した。

(ロ)  国警鳥取県本部捜査課は、宝木地区警察署長に右供述にいう「恩田某」が何人であるかについて照会したところ、同年五月一一日同署長から右は勝谷村大字岡木一二六番地農業恩田善信と推定される旨の回答があつたので、同月一三日右恩田善信の出頭を求めて取調べたが、同人は否認しまた福政義孝に接見させたが、同人も見覚えがないと答えた。そして右恩田善信は勝谷村大字岡木には恩田姓の者が農業恩田賢吉の外三名おる旨供述し、さらに供述にあたつた巡査部長戸田実に対し、右四名のうち、三好候補のため中田玉平から依頼を受けて選挙運動をすると思われるのは、恩田賢吉であると述べた。

(ハ)  よつて鳥取地区署においては、同日原告恩田賢吉の任意出頭を求め、原告は戸田巡査部長及び巡査足羽一正の取調に対し、否認したが、同日午後五時頃鳥取地区警察署捜査室(旧武徳殿仮庁舎)で、右二名の警察官は福政義孝に原告を約二間の距離で接見させたところ、福政は買収費を持つて来たのは原告であると供述した。警部補瀬田敏徳は「原告は四月二五日施行の参議院議員通常選挙にあたり、鳥取県より立候補した地方区議員候補者三好英之に当選をさせる目的で、同月上旬頃鳥取県気高郡大郷村大字金沢福政義高方で、同人に対し右候補者のために投票取まとめ方の選挙運動を依頼し、投票買収並びにその報酬として現金数万円を供与したものである」との旨の被疑事実につき、鳥取地方裁判所裁判官に対し、原告に対する逮捕状を請求し、右請求に(一)昭和二八年五月七日付司法警察員川口〓志作成の福政義孝の供述調書(恩田某から運動費一〇、〇〇〇円の交付を受けたとの供述記載)、(二)同月一三日付司法警察員戸田実作成の福政義孝の供述調書(運動費を持参したのは恩田善信でないとの供述記載)(三)同日付同司法警察員作成の同人の供述調書(前記一〇、〇〇〇円を持参したのは原告であるとの供述記載)をその資料として添付した。

(ニ)  鳥取地方裁判所裁判官秋山哲一は即日逮捕状を発したので、同日原告を逮捕した。

(ホ)  同月一五日に至り、原告は司法巡査倉本重雄に対し、福政に交付した買収費は、衆議院議員候補者徳安実蔵のためのものであるという外は、被疑事実一切について詳細な自白をなし、同日身柄拘束のまま鳥取地方検察庁に事件を送致した。

(ヘ)  同検察庁検事及川直年は同月一六日原告に被疑事実について弁解を求めたところ、原告は前記倉本巡査に対しなしたと同様の自白をした。同検事は同日逮捕状請求書記載と同一の被疑事実について鳥取地方裁判所裁判官に対し、原告の勾留を請求した。右請求には逮捕状請求に添付した書面の外更に昭和二八年五月一五日付司法巡査倉本重雄作成の恩田賢吉の自白調書、同月一六日付検事及川直年作成の恩田賢吉の弁解録取書を含む一件捜査記録を資料として添付した。

(ト)  鳥取地方裁判所裁判官秋山哲一は同月一六日勾留状を発し、右勾留状は即日執行された。

(チ)  及川検事及び鳥取地区警察署員並びに県本部捜査課は、引続き捜査にあたつたが、原告は福政に対し買収費一〇、〇〇〇円を交付したことは一貫して自認していたが右交付についての詳細な模様を更に明確にする必要があつたし、又原告に買収費を交付したという中田玉平は右事実を否認していたのでなお捜査を継続する必要があるものとして、及川検事は同月二五日裁判官に対し一〇日間の勾留期間延長請求し、右は同日秋山裁判官により許可された。右請求には勾留請求に添付した書面の外同月二〇日付及び同月二二日付前記倉本重雄作成の恩田賢吉の供述調書二通を含む一件捜査記録を資料として添付した。

(リ)  同月二九日原告は検察官山崎貞一に対し、従来の自白を飜し早く帰らせて貰いたいので虚偽の自白をしたと供述するに至つた。

(ヌ)  及川検事は同年六月二日原告に対する捜査を一まず打切り、処分保留のまま原告を釈放した。

(ル)  同年五月下旬頃原告の弁護人山崎季治等から検察官に対し、真犯人は鳥取県気高郡浜村町大字勝見農業兼蹄鉄業恩田一ではないかとの申出があり、捜査官は同人に対する調査に着手したが、同人は不在で家人は兵庫県方面に蹄鉄打ちに出掛けているということであつた。そして同人が同年六月七日帰宅したので同月八日鳥取地区署にその出頭を求め取調べたところ、同人は福政に買収費一〇、〇〇〇円を交付したことを供述し、その後捜査の結果同人が真犯人であることが明白になり、原告に対しては、同月三〇日付で嫌疑なしとして不起訴処分がされた。

(三)  右の事件の経過に明らかなように、原告に対する逮捕、勾留、勾留期間の延長につき、原告主張の係官等に何等の過失ありというをえない。原告は五月二九日自白を飜すに至るまで、終始自白を続け、捜査官の原告方家人につき不在証明の調査も原告に対する嫌疑を拭うに至らなかつたものである。結果論として原告が受けた逮捕、勾留については原告に同情を惜むものではないが、これにより原告主張の過失を肯定するをえない。

四  立証(省略)

理由(抄)

二 逮捕勾留についての過失の有無

原告を逮捕勾留するに至つた経過は右のとおりであるが原告は左記の事由により係官に過失があると主張する。即ち

(1) 福政義孝が原告に間違いない旨供述したと云つているが、右は事実に反する。成立に争いのない乙第一二号証によれば「一〇中八、九間違いないと思います」との供述が二ケ所に現われており、又乙第一号証によれば「四月一三、四日頃の午後三時頃であつたと思います(中略)五〇歳位の男が玄関内庭に入つて来る所でありました(中略)この使の恩田さんは私に封筒を渡すと直ぐ帰つて行きました。私の家に居たのは二、三分位だと思います」との供述記載があり、乙第二号証によれば「四月一四日頃と思いますが午後四時頃に私が私方前の角に立つて居た処四五、六歳位な男が来ました(中略)恩田さんはよろしう願いますといつて帰りました」との供述記載があり、この二つの調書を検討してみても福政の供述がデリケートな点につき極めて不正確であることが明らかである。面接したのは内庭(農家の内庭であるからうす暗い)で僅か二、三分間である。初めて見た人であるしそれも約一ケ月前のことである。以上の事実と人間の記憶力殊に福政義孝は当時六四歳の老人であることを考え併せるならば「似ている」とか「一〇中八、九間違いないと思います」というのが正直なところ精々であるからそれ以上強い供述が記載されてある調書は信用性を疑わねばならないのであり、人間の記憶が極めて不正確なものであることも併せ考え斯る供述のみに信頼し逮捕勾留をしたのは捜査係官の過失がある。というのであるが先づ福政義孝の供述の信頼度について考えると同人の証言によれば年令は当六五歳で大郷村長を二年つとめそれ以前に村会議員を二〇年位つとめたことが認められ、識見の高い人であることが推定できる。成立に争のない乙第一号証第二号証によれば原告主張の如き記載のあることが認められ、その内容において年令、時刻に多少の喰違いがあるのであるが此の程度の喰違いは通常起り得ることでこれを以て直ちに信頼できないとすることはできない。又面接した時間は二、三分でありそれも警察で会つた時より約一ケ月程前のことであるが、それにも拘らず原告と面接する前に恩田善信について面接したところ同人は全く違う旨申立てたことは事件の経過において認定したとおりであつて、それは明らかに事実と合致しており、前述の如き福政の経歴に徴してもその供述は相当高く信頼してよいものである。同人の証言によれば現在でも金を渡したのは原告のようでならないとのことで、相当印象に残つていることが窺われ成立に争のない乙第一四号証によれば木下友太郎委員も恩田一と原告との顔が似ている旨述べており同人が間違いない旨供述しても何等不自然と思われない。

次に刑事訴訟規則第一四三条、一四八条に定める逮捕、勾留の各請求に必要とする資料はどの程度で足りると解すべきかについて考えると犯罪の嫌疑を肯定する合理的根拠を示すもので足り有罪判決の場合におけるごとく厳格な証拠法則に支配された証明を必要とせず、疎明で足りると解すべきである。特に公職選挙法違反等のごとき物的証拠の少い犯罪においては、供述のみを証拠とすることが多く又巳むを得ないのであるがそれだけに慎重にすべきはまさに原告の主張のとおりである、しかし前記のような信頼性の認められる福政義孝の供述は疎明の資料として何等欠くるところがないのであり、警部補瀬田敏徳が此の供述調書を疎明の一資料に加えて逮捕状の請求を行つたことに何等過失を認め得ない。同様の理由により裁判官秋山哲一が同一資料により逮捕状を発したこと巡査足羽一正が逮捕状により原告を逮捕したことにも過失を認め得ない。更に検事及川直年が、右調書を資料の一つに加えて勾留請求し、裁判官秋山哲一が勾留状を発したこと、並びにそれが執行されたことについても同様である。

(2) 次に原告を逮捕勾留する以前において、昭和二八年四月一四日頃の原告の所在並に行動についても裏付捜査を遂げることなくして為した逮捕勾留は捜査の重大な欠陥であり、過失である人間は往々にして故意過失により嘘を云うものであること並びに人間の記憶力に限度があることからいえば、先づ原告の想定される犯行当時の「足どり」を詳細に調査すべきであるのに全然実施していない旨主張するので判断するに、すべての場合に主張のごとき方法をとる必要はないのであつて捜査には常に一定の方式があるわけでなく、裏付捜査をすることによつて始めて明瞭となる場合には実施すべく、然らざればその要なく、その時期についても逮捕勾留後に実施する場合もあろうし、要は具体的事情により適切な措置をとるべきであつて、本件のごとく明らかな証拠の存する場合においては特に疑いを抱かせる特別の事情のない限り逮捕勾留の要件に合致すれば、逮捕勾留して妨げないのであり、又証人瀬田敏徳の証言によれば当時選挙違反関係の被疑者が三〇名あつたという実情が認められこのような状況の下に原告の事犯につき特に裏付捜査をしなかつたことに過失があるとは云えない。逮捕状の請求においては事件の経過において掲げたごとく三通の供述調書を添付し、勾留請求には更に原告の自白調書を含む一件記録が添付されたのであつて、特に疑いの抱かれた証拠のない本件事件においては裏付捜査は必ずしも必要でなかつたと認めるべきであるから逮捕勾留に対する関係者に過失は認められない。

(3) 次に原告が逮捕されて否認していた同年五月一四日頃「うちの者を調べて貰つても判る」と司法警察員に不在証明を主張しその直後の同月一六、七日頃司法警察員において原告方家人に原告の犯行当時の行動を調査し、同月二〇日頃鳥取地区署にて原告の妻恩田きみと息子等を取調べ、その調書を作成し乍ら、全然原告の被疑事件記録に此の調書を編綴せず、検察官にもその報告を行つた形跡すらないもので原告に有利な不在証明の証拠は抹殺されてしまつたので此の点に過失があると云うので考えるに、証人倉本重雄の証言によれば、五月二〇日頃不在証明について原告の妻である訴外恩田きみを調査したところ、その不在証明の主張が根拠のないようなものであつたので取り上げなかつたことが認められ、証人恩田きみの証言によれば、五月一七日に原告の不在証明のことで調査を受けたことが認められるが調書を作成したことは認められない。同証言によれば更に同月二〇日頃警察に呼出され同様取調を受け、倉本重雄が調書を作成したことが窺われ、いずれも原告の在宅を主張したことが認められる。更に証人恩田恒太郎の証言によれば、五月一八日鳥取地区署において倉本重雄より原告の不在証明について調査を受けたことが認められるが調書の作成については判然としない。少くとも昭和二八年五月二〇日の恩田きみの調査においては倉本重雄が調書を作成したことが認められるので、この調書が記録に綴つてないことが倉本重雄の過失に当るかを考えるに、捜査の過程において、調査した総ての事項について記録を作成し、一件記録に編綴保存しなければならないのではなく、事件の具体的事情により合理的にみて、省略除外してよいものもあり、不在証明についても、被疑者が不在証明を主張して全く否認しているような場合にその主張の真偽を立証するためには調書を作成し保存することは重要であるが本件のごとく被疑者である原告が全面的に自白していて、不在証明の根拠が薄弱と考えられるような場合は必ずしも記録に編綴する必要はないと云わなければならない。更に証人山崎博正の証言によれば倉本重雄は原告の被疑事件の主任検事である及川直年に原告の不在証明について報告し、検事からも警察に命じて調査させたことも認められるのであり他にこれに反する認定をするに足る証拠はない。原告は不在証明の証拠を抹殺したと云うが殊更に破棄したり隠匿したと認める証拠はなく、前記の如くその必要なしと認めたのであつて、無実の罪を原告に負わせようとしたものでないことも明らかである。(又原告もかかる故意を主張するものでない。)よつて過失を認めるに足る証拠がない。

なお証人倉本重雄の証言によれば不在証明についての調査は、原告の申立によるものではなく捜査官として独自に行つたものであることが認められるのであつてこれに反する原告本人尋問の結果は措信しない。

(4) 被告は原告が詳細な自白をしているから被告の過失でない旨主張するがこれに対し原告はこれ亦吾人の経験則に反するのであつて、真犯人でない者即ち何も知らない者が詳細な自白をしていることこそ捜査官側の強要並びに誘導を証しており此の点に係官の過失があると主張するので判断するに五月一三日に巡査部長戸田実、並に巡査足羽一正が、同月一五日に巡査倉本重雄が原告の取調べに当つたことは事件の経過の項において認定したとおりであるが更に成立に争いのない甲第三号証によれば警部補高橋雅夫が五月一五日に、証人倉本重雄の証言と成立に争いのない乙第一〇号証第一一号証によれば同証人が、五月一五日以外に、同月二〇日、同月二一日、同月二二日の三回にわたり夫々原告の取調べに当つたことが認められ証人山崎博正の証言によれば主任検事及川直年は事件の送致を受けてより数回にわたり刑務所で原告を取調べたことが認められるので取調に当つて原告主張の如き事実があるか考えるに証人戸田実、同足羽一正、同倉本重雄、同山崎博正の各証言、並びに前記甲第三号証によれば、原告主張の如き強要、並に違法なる誘導尋問の行われたことは認められず、これに反する原告本人尋問の結果は措信しない。凡そ誘導尋問禁止の法則は公判手続に於て認められるものであり、しかもその場合にも記憶を喚起させ或は質問の対象者が敵対心を持つているような場合には許される等の例外があり、捜査の段階における被疑者の取調においては違法な事件を作り上げるような誘導尋問でない限り厳格に禁止されるわけではない。又成立に争いのない乙第一四号証によれば人権擁護委員会の調査の際原告は倉本巡査の取調方法には何等強制的なことはなかつたと自認していることが認められ、更に原告本人尋問の結果によると自白するに至つたのは主として家に帰りたい為意思の弱さから虚偽の自白をした事が認められ、又詳細に述べたのは以前原告は福政義孝のところを見たことがあつたので捜査官の質問により記憶を辿り思い出して云つた為であることが認められるのである。よつて此の点についての過失を証するに足る証拠は他にない。

三 勾留継続、勾留延長に対する過失の有無

原告を勾留し、更にその勾留期間を延長したことは事件の経過において認定したとおりである。原告を勾留後である五月二〇日、二一日、二二日の三回にわたり倉本重雄が原告の取調にあたり、その供述を整備、確認していることは前記認定のとおりであり、当事者間に争いのない事実及び成立に争いのない事実及び成立に争いのない甲第三号証、第一三号証の一、二、三、四の各号証並びに乙第六号証によれば原告は当時参議院議員の選挙と同時に施行された衆議院議員の総選挙に鳥取県選挙区から立候補した徳安実蔵とは俗にいう再従兄弟の間柄であること、原告が福政義孝に手交した金員の出所が徳安候補の選挙参謀である中田玉平であつたこと、中田玉平は三好英之候補を熱心に支持していたものであること、中田玉平は五月一三日逮捕されてより同月二八日に至るまで終始原告に金員を交付した事実を否認していたこと、一方福政義孝は終始原告から金員の交付を受けたと供述していることが夫々認められる。しかも証人山崎博正の証言によれば、同月二五日に至り原告自ら被疑事実を自白する手記(乙第一五号証)を提出したこと、原告を勾留後も主任検事及川直年が数回原告の取調にあたつたこと、当時鳥取地方検察庁には数一〇〇人の公職選挙法違反等の関係者が送致されていたこと等が認められる。従つてこの間原告を勾留した点につき係官に過失を認めることはできず、又原告の勾留期間の延長を求めたことに過失ありと認むべき証拠もなく、更にこれを許可した裁判官の過失についても同様である。

証人花房多喜雄の証言並びに甲第一一号証の二によれば原告の勾留を延長した後何等取調をしていないのは不当であると云うのである。証拠に現れた点からいえば勾留延長後検察官山崎貞一において原告の供述調書(甲第一〇号証)を作成していることが認められる。そしてこのような選挙違反被疑事件においては当該記録についてのみ捜査資料を求めて勾留延長後の捜査状況を判断することは必ずしもあたらないといわなければならない。本件についていえば、福政義孝に対する記録、中田玉平に対する記録はいずれも関係記録であるからこれまた対照してみなければならない。甲第一二号証の四である中田玉平の供述調書は検察官及川直年により五月二八日に作成されていることが明らかである。従つて前記証拠も原告に対する記録にのみ基いたものと認められるから勾留延長後における係官等に過失を認める資料とはならない。その他勾留延長後六月二日原告を釈放するに至るまで係官等に過失を認むべき証拠はない。

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